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執筆者の写真藤居 昌幹

ご冥福をお祈り申し上げます。

2023年3月11日記事


2011年3月11日(金)14時46分。

このとき、私の長女は千葉県に滞在していました。

そして、私は会社のオフィスにて執務をしていました。

経験したことない、ゆっくりとゆらゆらと揺れる揺れ。

東北の太平洋沖が震源地などと想像もしなかった。

情報が明らかになってくると事態はたいへんなことに。

海底を震源域としたマグニチュード9を記録した大震災。

大きな揺れのあと襲い掛かったのが10mを超える大津波。

しかも、この大津波は原子力発電所に襲い掛かることになる。

まさか

まさか

まさかの事態に・・・。

千葉県に滞在していた長女は

東京に滞在する予定だった。

出発の数日前に長女から相談があり

虫の知らせか、東京ではなく千葉に滞在することを薦めた私。

そして、何より素直に聞き入れた長女の判断。

大震災発生時

千葉県柏市にある麗澤大学キャンパスに滞在していたことは

私の安心でもあったし、長女の不安もいくらか和らいだことであろう。

もし、東京都区内に滞在していたら・・・

と想像するだけで

たいへんなことになっていたことは容易に想像がつく。

東日本大震災発生から12年。

未だ、原子力発電所の廃炉処理が進んでいるとは

言えない状況にある。

大学四回生だった長女も、子どもを授かって一児の母親に。

多くの尊いいのちが犠牲となったあの日。

決して忘れることなく、静かにご冥福を祈りたい。

報恩感謝

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